FUBAR2021    2021.11.14

 

FUBAR2021に参加

イベントは、13,14日の2日間行われたが、私は 14日のみの参加

 

現地、マルチワールドに 14日 午前6時50分に到着し、 受付を済ませる。

ドイツの人たち

ドイツ軍宿営地

イギリス軍宿営地

アメリカ軍宿営地

 

私は、レーションを受領し 補充兵として B分隊に配属 

 

連合軍は、

Able分隊
Baker分隊
Easy分隊
中隊本部合わせて 総員 25名



ドイツ軍は連合軍の倍以上と聞く・・・

 

分隊長から指示を受ける

武器・弾薬

 

敵の進撃が早いとの情報で、

予定より早い 0730時に行動開始

陣地防衛のため

移動開始

いつもは持たない

ハバーザックにスコップ

ユーテリティポーチ、ガスマスクバッグなど装備して

M1ライフル兵として参加。

余分な物を着けすぎて、

かさばるわ、重いわ。

背中のスコップが引っかかるわ、

動きにくいわ・・・

 

 

各員配置につき、敵を待つ

ブロウニングM1919を設置

地雷を仕掛け

 

遠くで銃声、 怒号、 歓声が聞こえてくる 

 

B分隊ウェットンの記録から

観測と即応のため、ショウにBARを持たせて機関銃陣地より敵に近い偽装陣地に配置した。
ほどなくしてショウより敵発見の手信号、交戦開始。敵のおおよその位置を予想し砲撃要請、
目覚めの一発だ。敵に重傷者が出たらしい。

 

 

 

B分隊ウェットンの記録から

敵の砲撃が来る前に前哨を機関銃陣地まで下げさせ待機。
工兵が出てき鉄条網に張り付いたので、機関銃で撃退した。
B分隊正面の攻撃は散発的だったが、南のA分隊担当地区は激戦だったらしい。
小隊本部より後退命令が出た。

 

イギリス軍 ブレンガン射手

A分隊長  シルバー軍曹

 

敵の攻撃を止めるために路上に複数の砲撃を要請したところ、
さっきまで敵がいたところからE分隊のイギリス兵が現れた。
斜面を登って敵を排除し連絡をつけてきたのだ。
急いで路上から退避するように伝えた

 

 

ドイツ軍の攻勢

MG42 機関銃

わさわさと 出てくる ドイツ兵

移動!

 

私も、それなりに戦った!

索敵

移動

射撃

後退

 

敵も攻めあぐねたようで戦闘が沈静化したので
交代で食事を取ったがさらなる前進命令があり、何名かの隊員が飯を食い損ねた。
第一防御線を超えて偽装陣地までドイツ軍を排除し前進した。

 

負傷し 本部へ後退、 

本部要員から クラッカーを 1枚 もらい 食べる

戦闘中の食事 これを食べている途中に前進命令

もう一個の缶詰を開ける事はできなかった。

 

 

支給のレーションは、缶詰 2缶

一缶は、クラッカー
     チョコレート 
     砂糖
     粉末コーヒー

もう一つは、ポークビーンズ

 

状況中に、交代で食べる事になっていたが、 

私は、ポークビーンズを食べている途中で前進命令がでて、食べながら前進(笑)

もう一個の缶詰を開ける事はできなかった。

 

ショウ隊員などは、状況終了まで何も食べられずに 空腹のまま戦い続けた。

終了後に やっと缶詰を開ける事ができたそうだ、・・・勇者だね(笑)

 

 

 

B・E分隊は死傷者を多く出し限界だった。
小隊本部とA分隊との連絡はとうに断絶していた。
分隊のケインを伝令に出して連絡をつけたが、
小隊本部とA分隊も別の独軍部隊と必死で戦っており、応援は困難との回答。


最終防御線でM1919の銃座について独兵を射撃したが、
すぐに撃てなくなってしまった。MG班長のウォーターが交代してドイツ兵を撃ち倒したが、
すぐに砲弾が降ってきて彼は重傷を負った。

分隊は私一人になった。ドイツ兵は左側の林を突破して、
経験したことがないくらい近くまで来た。
BARで応戦したが、至近距離からのMGの発砲で重傷を負って捕虜になり、
私の戦争は終わった。

 

 

戦いが終結 国へ帰る   疲れて足が・・・重い

部隊 解散

最大戦傷賞授与式 ドイツ軍

最大戦傷賞授与式 連合軍

 

この戦いでは、 砲撃支援の他、 航空支援も再現された。

砲撃 現示員 による 砲撃表現

撮影担当 カメラマン

 

航空攻撃 現示員がサイレン鳴らして走ってきて  爆音再現

砲撃 現示員さん、砲弾飛来の笛を吹いてから、 爆音再現

 

私も敵弾にて、2回 重傷に 

 

その後、砲撃を連続でくらい 死亡 してしまった。

 

中隊長と

Able分隊

我ら Baker分隊

イギリス軍 Easy 分隊

 

 

 

マルチの森での戦いにおける、Baker分隊 分隊長 ウェットンの記録。

(※私の曖昧な記憶なので、実際や他参加者の認識とは異なる場合があります。
 分隊のすべての行動が私の発案に基づくものではないですがそういった点は省略します。ご容赦を)

11月13日

スキーブ少尉より突如軍曹への昇進とB分隊の指揮を命じられ、マルチの森に展開する。
M1919を擁するB分隊は、敵主力の侵攻が予想される北部の小道の防御を命ぜられる。
攻勢が迫る中、防御陣地の構築を開始。


マルチの森で最も標高の高い北の路上は遮蔽物が少ない上に、
侵攻する敵が我々を見下ろせるような勾配になっている。
嫌な予感しかしない。
射界を確保できる箇所をいくつか機関銃陣地として選定し、
鉄条網と地雷を配置して急拵えの陣地を構築した。

夜になり、小道に小隊が設置した偽装陣地に歩哨をたて警戒を行った。
B分隊は兵員が少なく、A分隊からの2名の応援を加えて交代で歩哨に立った。

交代の合間にイギリス人の真似をしてフライドブレッドを作ってみたが、なかなか美味しかった。
陣地に交代に行くと、最初に監視に立ったショウ一等兵より
「さっきまで聞こえていたドイツ軍宿営地の笑い声が消えた」と。
なんでこうなるんだ。

南のA分隊は敵の斥候と小競り合いがあったようで、銃声と有線電話がよく響いた。
それに比べるとB分隊の全面はしばらく静かだった。

しかし静けさは長続きしなかった。
暗くて何も見えなかったが、前方で敵の斥候が枝を踏む音や藪を掻き分ける音が聞こえてきた。
音はB分隊の地雷原をかわし、中央のE分隊の間に抜けていった。後方に浸透されたかもしれない。


陣地の位置を知られないために、異常報告以外はA分隊の2名とともに無音警戒を続けていたが、
姿の見えないドイツ軍が正直怖くて仕方なかった。

B分隊の陣地は攻撃を受けなかったと思っていたが、
翌朝確認すると鉄条網前の地雷が一部撤去され道が作られていた。
無音で数メートル先までドイツ工兵が来ていたらしい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

11月13日

観測と即応のため、ショウにBARを持たせて機関銃陣地より敵に近い偽装陣地に配置した。
ほどなくしてショウより敵発見の手信号、交戦開始。敵のおおよその位置を予想し砲撃要請、
目覚めの一発だ。敵に重傷者が出たらしい。


敵の砲撃が来る前に前哨を機関銃陣地まで下げさせ待機。
工兵が出てき鉄条網に張り付いたので、機関銃で撃退した。
B分隊正面の攻撃は散発的だったが、南のA分隊担当地区は激戦だったらしい。
小隊本部より後退命令が出た。

ここで一つミスを犯した。
B分隊が担当した北の路上は遮蔽物がないため第一防御線と第二防御線が他の分隊より
後ろになっているので、後退することでE分隊との連携が困難になっていたのだ。

第二防御線では、鉄条網に張りつく敵工兵や、
両脇の林に侵攻してくる歩兵を曲がり角の地形を活かして砲爆撃と小火器で迎撃し、
出血を強いた。
しかしA分隊担当地域に比べると小規模な攻勢だったので、
限りある砲弾を使いすぎたのが反省点。

敵の攻撃を止めるために路上に複数の砲撃を要請したところ、
さっきまで敵がいたところからE分隊のイギリス兵が現れた。
斜面を登って敵を排除し連絡をつけてきたのだ。
急いで路上から退避するように伝えたが、砲撃要請は却下されていた。


その後は小隊本部より攻撃と第一防御線の奪還が命じられ、
道の左側に敵が残っていたため斥候を立てつつ前進。
勇猛なイギリス兵達は先行して右側の斜面を前進した。
陣地を奪還してみると、銃座や鉄条網は跡形もなくなっていた。

敵も攻めあぐねたようで戦闘が沈静化したので
交代で食事を取ったがさらなる前進命令があり、何名かの隊員が飯を食い損ねた。
第一防御線を超えて偽装陣地までドイツ軍を排除し前進した。

その先に斥候を出すと一個小隊規模の強力な敵勢力と遭遇、航空支援を要請。
我々はP-47の轟音に歓声を上げた。爆弾は敵集結地点に命中し、ドイツ兵2個分隊が消えた。
しかし、B分隊のほとんどの兵士達にとって、笑ったのはこれが最後になった。

昼前頃、独軍の攻勢が始まった。
路上と林を一斉に攻めて来た敵に対し応戦しつつ後退、なんとか撃退するも分隊に死傷者が出る。
その後も独軍の攻撃は続き、じわじわと押し返された。

E分隊と共に道路の左右を防御した。
独軍は工兵が路上の抗敵資材の除去を試み、援護のために歩兵が左右の森林に侵攻。
数では負けていたが簡単には突破させなかった。
英軍のブレンガンの支援射撃が頼もしい。

E分隊は道の右斜面、B分隊は左右に分けて配置し攻める独軍を迎撃。
前進配置したE分隊のブレンガンはドイツ兵を捉えて離さなかった。
左の林のドイツ兵は強力なだったが、B分隊のベテラン達は頑強に抵抗した。

私も突破を試みるドイツ兵をBARで打ち倒した。
しかし奴らは何度でも攻めて来て、持ち堪えられない。
分隊は最終防御線陣地付近まで後退。
歩兵だけでなく砲弾も降ってくるようになった。

B・E分隊は死傷者を多く出し限界だった。
小隊本部とA分隊との連絡はとうに断絶していた。
分隊のケインを伝令に出して連絡をつけたが、
小隊本部とA分隊も別の独軍部隊と必死で戦っており、応援は困難との回答。


最終防御線でM1919の銃座について独兵を射撃したが、
すぐに撃てなくなってしまった。MG班長のウォーターが交代してドイツ兵を撃ち倒したが、
すぐに砲弾が降ってきて彼は重傷を負った。

分隊は私一人になった。ドイツ兵は左側の林を突破して、
経験したことがないくらい近くまで来た。
BARで応戦したが、至近距離からのMGの発砲で重傷を負って捕虜になり、
私の戦争は終わった。

 

全体写真

作戦地図

 

ツイッターで見つけた  E分隊の記録です。

@raku1939


1日目夜間状況、

我々イギリス軍はアメリカ軍と交代するため夜道を前進した。
このとき鉄条網の付近で誰かの気配を感じて誰何するも反応なし。
持ち場が見つからず右往左往していると上から誰何。小隊本部だった。


小隊本部付近のアメリカ軍と交代。
辺りは至って静か。だが隣にいた米兵によると誰かが下の道を何度も通っていると。
確かに人影や足音がある。敵か味方かわからない。
米兵と交代してから長い時間が経ち、後方から人が。カーク分隊長が誰何すると「小隊本部だ!」との返答。
そして影が発砲。敵だ!


カーク分隊長の叫びが聞こえ、道路上を走り去る誰かの影。
生死がわからなかったが、分隊長は腕を負傷しただけで済んだ。
また影がやってきたので今度はマクレガーが誰何。
「パスワード すけべ!」「プラモ!」敵だ!ドイツ軍は騙し討ちを仕掛けてきた。
深夜が近付くにつれて敵の動きも活発になっていく


夜が明けるとA分隊が構築した鉄条網は完全に無力化されていた。
我々イギリス軍残存兵力はA分隊の米空挺兵とB分隊の米歩兵の支援を受け、
E分隊として両分隊の中間地点、斜面の中腹に陣取った。
静かな時間は短く、野戦電話のベルが鳴り響いた。
A分隊の砲撃支援要請だ。砲弾が降り注ぎ、破裂していく。


我々は小隊本部の前面に展開していた。
カーク分隊長が砲撃目標位置を記録と小隊長に叫ぶ。
やがて敵があらゆる方向から殺到してきた。
ドイツ軍はA分隊とB分隊に向けて部隊を繰り出してきた。
我々E分隊はB分隊を攻撃しようとするドイツ軍を斜面から撃ち上げた。
特にマクレガーのブレンガンは威力絶大だ。


「砲撃要請!」カーク分隊長が叫ぶ。
事前にプロットしてあるので素早い砲撃だ。
敵は打ち倒された。だが次から次へとひっきりなしにドイツ兵がやってくる。
「ラトクリフは道路を警戒!」分隊長の命令で私はT字路を注意深く観察した。
敵は兵を斜面直下の道路にはほとんど投入しなかった。



T字路にはドイツ兵が毛ジラミのように密集していた。
A分隊方向を攻撃するために待機している者、負傷して後方に戻る者。
A分隊の砲撃要請がドイツ軍を的確に破壊していった。
だが電話のベルは鳴り止まない。
怒鳴り声、喚く敵兵、ブレンガンの唸り声など至る所でありとあらゆる音が響きわたっていた。


やがて戦術的後退の命令が下された。
我々は斜面の中を通って後退し、A分隊と合同で橋と斜面を守備した。
合同というのはこの場合、A分隊とE分隊が同じ場所に陣取ろうとして連合軍崩壊の危機に陥ったことを示す。
我々が紳士的に陣地を譲ったのでアイゼンハウアーも胸を撫で下ろしただろう。(誇張表現)



A分隊は道路と橋を、我々は斜面を警戒していた。
ところが稜線上の道路からドイツ兵が湧いてくる。
さらには後方の小隊本部を脅かさんと浸透してきたので、勇敢なるイギリス兵たちは勇気を持ってこれを撃退した。
B分隊は一体どこにいる?我々E分隊は斜面をA分隊に任せ、丘を登り始めた。


B分隊は些か後方に戻り過ぎている、というのが我々の一致した見解だった。
道路上に出ると敵も味方も見えない。
いや、B分隊方向からドイツ兵が現れた!慌てて隠れる。
この哀れな2人のプロイセン人は我々の情け容赦ない射撃でこの地球上から消え去った。
カーク分隊長が叫ぶ。「伝令!」私はB分隊を目指す


伝令に走るとB分隊は障害物を構築していた。
「E分隊は道路上まで進出、共同で攻撃を」しかしB分隊は慎重であった。
砲撃要請地点にE分隊が入り込んでいるので退避せよという。
私は再びカーク分隊長のところまで戻った。
ドイツ兵が増え始めた!私はさらに伝令に走り、今すぐ攻撃するように求めた。


B分隊は砲撃を待っていた。
しばらくするとカーク分隊長が命からがら逃げ延びてきた。
E分隊はたったの2人になってしまった。
砲撃は来ず、ドイツ兵が来たのである。貴重な時間が失われてしまった。
やがて補充要員が到着し(新しいブレンガン射手もなぜかマクレガーという名前だった)、
分隊は再編成された


その後の記憶が若干あやふやだ。
確か何度も斜面を行ったり来たりしたような気がする。
味方は次々と倒れ、後送されていった。やがてE分隊はA分隊の逆襲に協力し、岩のラインまで前進を試みた。
ドイツ軍は新型のマシンカービンを大量投入しており、我々はこれをしばしばライトマシンガンと誤認した。


逆襲はある程度の成功を収めたものの、ドイツ軍の圧力は凄まじかった。
8・8の砲撃がA分隊を何度も襲っていた。
砲撃はやがてB分隊にも降るようになり、我々も負けじと105ミリ砲と25ポンド砲を叩き込んだ。
敵の砲撃は散発的だったが、そこには必ず我が軍の部隊がいた。



どこまで話したか……。
逆襲は何度行っただろうか。敵は確実に間合いを詰めてきていた。
我が方は余剰人員が少なく、補充でやってくる兵より斃れていく兵の方が圧倒的に多かった。
ついには最終防衛ラインにまで敵が肉薄してきた。
そういえばA分隊、あの空挺兵たちはどうしたろうか。まだ戦っているか?


我がE分隊の隊長は5回も変わった。
ブレンガンは火を噴く度に目の敵とされ制圧される。
気付くと周囲には自分一人しか残っていなかった。
稜線上でB分隊の機関銃が連続射撃をしている。だがブレンガンの音は聞こえない。
ついにE分隊は私ひとりになってしまったのだ。
後退しようにも、目の前に敵がいる。


私に残された道はただひとつしかなかった。
敵が躍進する瞬間にライフルを撃ち、必中させる。
敵が隠れている間は私も隠れる。
目の前を銃弾が切り裂く鋭い音がした。敵が出てくる度に私はライフルを撃ったが、
ドイツ兵は目の色がわかるほどの距離まで迫ってきた。

そして、銃弾が体のどこかに当たった。


衝撃で転げ落ちる。
落ちる。
落ちる。
いのちと共に落ちていく。
マシンガンの音はもう聞こえない。
聞こえるのは、勝ち誇るドイツ語の叫び声だけだった……。

※このあと復帰しようと思いましたが上の方から「生きている奴は全員捕虜にしろ!(ドイツ語)」
と聞こえてきたので諦めて土になりました

 

56 Mil-Spec (JP Airsoft Cinema)による 米軍A分隊の動画

 

連合軍総員 25名 に対し ドイツ軍は、倍の 50名

状況開始 0730時 状況終了 1430時

連合軍は負けてしまったが、

この戦力差で 7時間も 守ったのは 立派だ!  と 思う(笑)

 

ドイツ軍側の従軍記  (米軍、英軍の記録と合わせて読むと、興味深い)

 

茨城「現代鉄砲ブチ文化研究会」による動画

 

 

 

以下、撮って頂いた写真です。

 

 

 

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